『石坂洋次郎「若い人」をよむ』

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石坂洋次郎「若い人」をよむ
 妖(あや)の娘・江波恵子

柏倉康夫(放送大学名誉教授)
ISBN:978-4-905497-07-3、 四六判上製、 268頁、 本体価格1,800円
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昭和8年から5か年にわたって連載された長篇小説『若い人』。北国の女学校を舞台に繰り広げられる教師と女学生
の物語は、われわれをどこへ誘うか。ヒロイン江波の魅力をじっくりと味わいたい。

「江波の魅力は生命の根源から発するものであり、それだけ周囲の人たちを魅惑し、あるいは反発させる妖し
さをあたえられている。妖しの娘江波恵子は、誰とも異なるユニークな存在なのだ」(本書より)

【著者】柏倉康夫(かしわくら やすお)

放送大学名誉教授。1939年東京生まれ。東京大学文学部フランス文学科卒業。NHK解説主幹、京都大学大学院文学研究科教授、放送大学教授・副学長・付属図書館長などを歴任。フランス共和国国家功労勲章シュヴァリエを叙勲。著書に『マラルメ探し』『生成するマラルメ』『アンリ・カルティエ=ブレッソン伝』『敗れし國の秋のはて 評伝堀口九萬一』『評伝梶井基次郎 視ること、それはもうなにかなのだ』『指導者はこうして育つ―フランスの高等教育~グラン・ゼコール』など多数。


~「はじめに」より~

 石坂洋次郎が生み出した数々の作品は、昭和という時代を生きた平均的日本人の考え方をもっともよく反映したものといってよい。たとえば小説『青い山脈』は戦後の新聞小説第一号として、敗戦から二年後の昭和二十二年(一九四七)六月から九月まで朝日新聞に連載され、その後新潮社から単行本として刊行されて多くの読者を熱狂させた。
 昭和二十二年といえば、敗戦によって都市は焦土と化し、農村は荒廃して、主食の米は配給制のもとに食糧難が続いていたが、アメリカの占領軍は日本の民主化を押しすすめ、昭和二十二年五月三日には、主権在民、平和主義、個人の尊重を柱とする新憲法が施行された。だが、民主主義とは具体的にはどういうことなのか。新たらしい男女の交際はどう考えるべきなのか。混乱する思想の中で、読者はこうした疑問への答えを、この小説に見出し、未来への希望を新たにしたのである。『青い山脈』は人びとにとって、民主主義の教科書だった。(中略)


 角川書店が『昭和文学全集』の刊行をはじめたのは、昭和二十七年(一九五二)十月のことである。そのころ本郷真砂町に住んでいた私は、母に頼まれてよく近所の貸し本屋へ行った。母の愛読書は川端康成だった。当時はまだ東京の町のいたるところに貸し本屋があって、小説や漫画本が棚に並べられていた。読者の多くは気に入りの作家の新刊が出ると、購入するかわりに古本屋で借りて読んだものである。

その貸本屋は白山通り春日町の交差点と初音町の間の道路沿いにあった。間口は二間ほど、四囲の壁と真ん中の二列の棚にはぎっしりと本が並べられていた。ある日、壁際の棚の上の方に、橙色のハードカバーの文学全集が十数冊並べてあるのが目に入った。山本有三、獅子文六、永井荷風、横光利一、大佛次郎、堀辰雄・・・、そして一番端に、「石坂洋次郎集」と背表紙に金文字で印刷された一冊があった。
 石坂洋次郎の名前は高校一年生だった私も、映画「青い山脈」を近くの映画館で観ていた。さっそく『石坂洋次郎集』を手に取ると、「若い人(全篇)」のほかに、『麥死なず』と短編『女同士』が収録されていて、『若い人』は三段組みで三八三頁、旧字、旧仮名の小さな活字がびっしりと詰まっていた。

「間崎が勤めてゐる女學校は米國系のキリスト教會が經営して居る自由博愛主義標榜のミツシヨンスクールであるが、基金が豐であることと、創設以来の學長であるミス・ケートの磊落な氣象とのお蔭で、宗教學校にあり勝ちな偏つた冷たい空氣もなければ、それが崩れてルーズな下卑た氣風に堕することもなく、五百餘人の發育盛りの女生徒達は、やはりミス・ケートの考案になる簡素な通學服を短く著込んで、芝生と花壇の多い學園の生活をのびのびと樂しんで居るやうにみえた。」という書き出しを立ち読みして、すぐに借り出したのだった。

当時、貸本は一日あるいは一週間単位が原則だった。それから一週間、学校から帰ると、勉強もそっちのけで『若い人』に読みふけった。こうして間崎先生、橋本先生、それに女学生江波恵子の間で繰りひろげられる物語の実在感は、周囲で展開する現実以上に圧倒的だった。とりわけ十八歳の江波恵子の魅力に、二歳年下の私はとり憑つかれてしまったのである。いわば初恋だった。





【書評・紹介】
●《日本図書館協会選定図書》(第2824回 平成24年8月1日選定)
北海道新聞(2012.9.2)評者:菅野昭正氏(文芸評論家)
●婦人公論(10/7号)評者:仲俣暁生氏

【お知らせ】
本書63頁の後から3行目の「不敬罪や軍人誣告罪にあたるとして、石坂を検事局に告訴した。」に対し、
「訴状は出版法違反だったのではないか」とのご指摘を読者のかたよりいただきました。ありがとうございます。
当該部分は、正確には、「不敬罪や軍人誣告罪にあたるとして、石坂を出版法違反で検事局に告訴した。」とすべきかと判断し、ここにお知らせいたします。